ウコンの歴史 :ウコンの種類、効果と食べ方

ウコンの歴史

1430年に北山・中山・南山の3つを中山の尚巴志が統一し、琉球王朝が誕生しました。

そして南方の諸国と交易のあった琉球王朝は、ウコンを入手し、1647年には、砂糖の専売制度と敷き、その他にウコンにも専売制度を敷きました。

ウコンは薬用としての効果が大きいだけでなく、食用や染料、花穂は観賞用としても用いられるなど、利用範囲が広く、当時の庶民にとっては必要性が高く、王府の財源を確保するには最適なものでした。

この専売制により、ウコンの栽培は厳重な警戒のもとに実施され、ウコンの植え付けの時は、必ず王府の監視員が立会い、植え付け人の一人一人に根茎の数を確認し、作業終了後は服装検査まで行ったといわれております。

収穫の時も当然ながら監視員が付き、収穫したウコンを盗み出し、持ち帰ることなど不可能でした。

この厳重さはウコンという植物が実に旺盛な繁殖力をもつことを証明するもので、根茎の一片でも手に入れ植えつけたら、たちまち繁殖してしまうほど強いのです。

このような厳重な警戒の中、夜中にこっそり畑から掘り起こし、自家薬として大切に育てた人々もいるといわれ、危険を犯してまで手に入れたいと思うほど、ウコンは薬効の高い植物として価値づけられていました。

沖縄県の他にも鹿児島県の一部にも生育しておりますが、歴史をたどると琉球王朝から薩摩藩が購入し運ばれてきたことも明らかになっています。

当時の資料によると、薩摩藩には琉球での1.7倍、関西方面には30倍以上の高値で売却されており、まさに秘薬の名に値する評価を得ていました。

これほどまでに珍重されていたウコンは、後に本土では秘薬としては見ることはなく、栽培の好適地である沖縄では、王朝時代から伝え守られ、今日まで受け継がれてきました。

それでも本土ではカレー粉などにウコンを使用し、たくあんなどの着色にウコンを利用してきました。

カレー粉場合は、20%〜40%はウコンの粉末が配合されています。

これは沖縄県民にも以外に身近な食品といえるかもしれません。

また王朝時代には赤ん坊の肌着にウコンで染めた肌着にすると虫に刺されない・暖かくて風邪をひかないなどともいわれており、大切な衣類はウコン染めの風呂敷で包んでおけば虫除けにもなるといったように大変重宝がられていました。

また、ウコンは布だけでなく羊毛や皮類までも染色できました。

このように、ウコンは私たちの生活の中で、幅広く多岐にわたる使用目的をもって使われているのです。